いろいろ〜!

5年後どうなりたいか? &振り返り

 

 まずはじめに思うのが、もうちょっと人生をまったり生きてもいいのではないかと思う。

ただの不幸自慢と自分語りです。自分のために書く。

 

中学生

中学生の時私は微妙にいじめられてました。いままで仲良くしてた子がいきなり話しかけてくれなかったのです。ハミられるってやつですね。その時、私の学年ではなんとな~くハミられる人が順番に代わっていってた。その標的が私になったっぽい。男たらしとかぶりっことか言われて結構学校に行くのつらかったの覚えてる。そのころから自分が他人にどう思われているのかすごく気になりようになったり、言葉や行動、外見をやたら気になるようになってしまった。自分もあんまり好きじゃなかった。泣きながら、悩んでることを相談した友達は次の日にスクールカーストの上の方に立ってた女の子に私の悩み事をすべて言ってた(今思うとその子めっちゃビッチ!!!!中指)気づいたら標的は誰かに代わってたけど、中学校は最悪やったのう。私鬱なのかな?って思ってネットで自己テストみたいなのしたら病院行きましょう。みたいな感じなの出てきたし、アムカもした。その痕今も残ってる。

部活も楽しくなかったし、なんか変な決まりに呪われてたし、ストレスからか過呼吸にもよくなってたし、さっさとやめればよかった。その時相談した大人は頑張って最後まで続けなさいっていってたな~。26歳の私があの時の私にアドバイスするなら、・そんなに頑張らなくていいからやめて学校外のところで楽しいこと見つけよう。

 

高校生

高校は楽しかった。滅茶苦茶楽しかった。 付属校だったこともあって受験のストレスもなかったから執行部に入ったり科学部に入ったりして企画したり、「けんきゅう」もどきをして楽しんだ。 高校はみんなちょっと大人になってるし、ハミったり、いじめとか私の周りではあんまりなかった。イベントの委員会のメンバーは深い話からしょーもないニコニコ動画みたりできて私のなかのバランスがすごくよかった。

高校1年生の時にオーストラリアにお勉強に行く研修旅行があったのですが、なんかとても魅力的に感じて面接をパスして行けることに。それまで英語は苦手じゃなったけど、そこまで好きでもなかった。実際高校1年生でオーストラリアに行っても何いってるかわからない時の方が多かったけどその時の私にとって異国は刺激的だったし非現実的で楽しかった。その後日本に帰って現実を感じてやたら悲しくなったのを覚えてる。そのあとになんだか英語もっと勉強したくなって、ALTの先生と仲良くなったり、ラジオで英会話勉強したりして高校生にしては結構しゃべれるようになってたと思う。

高校2年生の時にはイギリスに行って、3年生の時はオーストラリアにもまた行けた。

その時から感じてたのが、英語をしゃべってる自分が好きということ。たぶん、聞きなれない外国語をしゃべってる自分が自分に感じなかったからだと思う。英語をしゃべると、積極的だったし嫌いな内気な自分を感じられないから。

そこでオーストラリアの大学に行くことに決めました。この選択に私は後悔してないしいろいろ理由はあるけど、海外に対する憧れとか、英語をしゃべってる自分が単純に好きだったからっていう理由が大きかったと今思う。

 

オーストラリアの大学

高校卒業したその年の6月にオーストラリアに来ました。はじめの方は英語しゃべれないなりに頑張ってしゃべって友達もがんばって作って、見慣れないものがたくさんで、英語で勉強するのも楽しかった。でも英語もまあまあしゃべれるようになってすぐ慣れた。

大学に入ってからは、つらかった、いや~つらかったよ!!笑 今まで高校生の時にイギリスいったり、オーストラリア行ったりすると少し「特別あつかい」してもらえた。しかしオーストラリアは移民&外国人学生多いので、「どこにでもいるただの外国人学生」として扱われます。友達もなかなかできなかったし、言ってることもわからんこと多かったし。毎学期、科目を落とさないかばかり心配してました。テスト前は特に生きた心地しないまま毎日過ごしてました。前までは英語をしゃべる自分があんなに好きだったのに大学にいるときは英語をしゃべれない自分に嫌気がさしてました。家探しも難しかったし、お金の使い方もわからなかったし、ストレスの発散の仕方もわからなかったのでいつもモヤモヤしてました。この時はすごく誰かに頼りたかった。

いつも年度末のテストを終わらせてから日本に帰ってたので日本に帰るとはじめの1ヵ月はすごく落ち着けて楽しい→中間になると家のいろいろしたことが目について嫌になる→最後の数週間はオーストラリアに戻りたくない気持ちが強くなって悲しくなるパターンが毎回でした。空港では毎回泣いてました。日本という温かいブランケットの中にずっといたいのに、それから出てオーストラリアに行かなくちゃいけないという、なんだかよく先が見えない、ブラックホールに行くような気がして。高校生のときはあんなに海外にあこがれてたのにオーストラリアに住むようになってからは日本が、安心する場所であり、自分の中での新しい非日常になりました。なんと皮肉。

 

大学も終わりかけの時、「もうオーストラリアで十分頑張った、日本に帰って安心したい」と考え大学院進学を日本にしようと思ってたのですがまさか学部で少しお世話になった先生から研究プロジェクト(大学院)のオファ―。その時、お金がなかったので大学院をそのままオーストラリアで進むことにしました。あと、その時点で4年いたのに英語へたくそだったのがいやだったのもあります。あーんなにオーストラリアにいるのがつらくて日本に帰りたいと思ってたのに・・笑。なんでや・・・笑

 

大学院に進学してからは、学部の時よりは生きやすくなりました。時間も自分で決められるし、なんといっても試験がない笑。その時、彼氏もいたし、承認欲求もある程度満たされてました。今はもう別れてるけどね!!

 

ここ1-2年

ここ1-2年は、いろいろ生活習慣を変えることができて、朝早起きができるようになったり、ごはんもある程度バランスよく作ったり、節約したり、お金の使い方が少しずつわかるようになったり。自分で自分のご機嫌も前よりはずいぶん取れるようになったと思います。英語もだいぶしゃべれるようになって(ジョークとかわかるようになったり、会話のキャッチボールがだいぶスムーズにできるようになった!!)それと同時に日本語も下手くそになっていきました。

大学院・研究に関してはうまくいかないことが多かったです。まず実験はうまくいかないことが多い。私は研究結果を出すことで自分の承認欲求を満たしている(とっても良くない)ので、うまくいかないと、休日をとったり、おいしいものやデザートを食べるのも、ショッピングするのも自分にはそれに値する価値がないと思ってできない。あとちょいちょい感じる日本人独特の研究者文化にも嫌気がさします。お金のこととか論文を出す話とか、他の人が卒論だしたかどうか、自分の担当教員の自慢とかそんな話ばっかりで嫌になる。あと、マウンティングされるのもいやだ。

 

 

こんな感じで不細工に迷いながら、生きてきたわけです。 これから5年後、または来年私はなにがしたいのかな。まだ研究続けるのかな、日本に帰る?オーストラリアに残る?9-5時の仕事する?

大学院に進学してから2回くらい日本に帰ったんですが、やっぱり、「オーストラリアに帰りたくない、家にいて甘やかされたい、もう一人で頑張りたくない」と思って悲しくなったり、「家族とか親しい友達がいる日本に帰ってちょっとくらい安心してもいいんじゃないの?」って思ったり。
でも日本に本帰国することを考えると「ほんとにそれでいいの?楽していいの?ほかの国に行ってチャレンジし続けないの?」となんだかよくのわからない使命感?とか罪悪感に襲われます。

私のどこかでは、研究続けて、大学院で研究室もって次の世代をインスパイヤしたいっていう夢があるんですが、その夢を達成するために自分に厳しくあり続けるのが正しいのかなって・・・。

 

うーん難しい!!でも書いたらすこしすっきりした!!